悔しかったこと
だからといって、そう、事態や状況が変るものではない。
ただ、自分の見る目が変るだけだ。
わたしは、年相応よりももっとボケていて、(じつは、若い時から天然)
おそらく、ブログには、なんども同じコトを書いているだろう。
なので、ああ、またか、とお思いの方は、こころやさしくスルーしてください。
人間は、同じことを何度も何度も言いたくなるようだ。
なぜなのだろう。
一度や二度、吐き出せば、そこそこスッキリするのではないのか?
だが、何度も何度も何度も、呪文か、お経のように、同じ話をすることがある。
わたしもおそらく少しぐらいは、心当たりがあるが、年を重ねると、その傾向が益々大きくなるようだ。
高齢の人にはよくある行動で、不思議でもなんでもない。
だが、これを毎回毎回、聞かされるとけっこう、こたえる。
こちらに蓄積してしまう。
なので、ヒアリングの電源を一旦オフにするといい。あるいは消音に切り替える。
ああ、またはじまった、ちょっと音を小さくしよう。
そうして、なにかの折に、うなずく。
「ふうむ、そうなんですね」
「たいへんでしたね」
「すごいですね」
適度に相槌を打つ。
プライドの根源を否定するようなことも、しない。
口から出るのは、楽しかった頃の思い出とかではない。
ある人は、苦しかったことや、そういうことばかり。
いまは、幸せなんだから、もう、いいではないか。
そう思うが、そうでもないのか。
今の幸せをかみ締めたいから、逆に、昔の苦しかったことを思い出して、その逆差に喜びに浸りたいのか。
そういうふうにも、見えない。
あるいは、自慢を言うと、人に嫌われるので、自ずと、辛い経験を話すのだろうか。
苦しい体験のほうが、同情や同調を得やすいのか。
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