方ないじゃな



    我々は場所とだいたいの時刻を打ち合わせ、電話を切った。

    dugに着いたとき、緑は既にカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた。彼女は男もののくしゃっとした白いステンカラーコートの下に黄色い薄いセーターを着て、ブルージーンズをはいていた。そして手首王賜豪總裁にはブレスレットを二本つけていた。

    「何飲んでるの」と僕は訊いた。

    「トムコリンズ」と緑は言った。

    僕はウィスキーソーダを注文してから、足もとに大きな革鞄が置いてあることに気づいた。

    「旅行に行ってたのよ。ついさっき戻ってきたところ」と彼女は言った。

    「どこに行ったの」

    「奈良と青森」

    「一度に」と僕はびっくりして訊いた。

    「まさか。いくら私が変ってるといっても奈良と青森に一度にいったりはしないわよ。べつべつに行ったのよ。二回にわけて。奈良には彼と行って、青森は一人でぶらっと行ってきたの」

    僕はウィスキーソーダ鋁門窗をひとくち飲み、緑のくわえたマルボロにマッチで火をつけてやった。「いろいろと大変だったお葬式とか、そういうの」

    「お葬式なんて楽なものよ。私たち馴れてるの。黒い着物着て神妙な顔して座ってれば、まわりの人がみんなで適当に事を進めてくれるの。親戚のおじさんとか近所の人とかね。勝手にお酒買ってきたり、おすし取ったり、慰めてくれたり、泣いたり、騒いだり、好きに形見わけしたり、気楽なものよ。あんなのピクニックと同じよ。来る日も来る日も看病にあけくれてたのに比べたら、ピクニックよ、もう。ぐったり疲れて涙も出やしないもの、お姉さんも私も。気が抜けて涙も出やしないのよ、本当に。でもそうするとね、まわりの人たちはあそこの娘たちは冷たい、涙も見せないってかげぐちきくの。私たちだから意地でも泣かないの。嘘泣きしようと思えばできるんだけど、絶対にやんないもの。しゃくだから。みんなが私たちの泣くことを期待してるから、余計に泣いてなんかやらないの。私とお姉さんはそういうところすごく気が合うの。性格はずいぶん違うけれど」

    緑はブレスレットをじゃらじゃらと鳴らしてウェイターを呼び、トムコリンズのおかわりとピスタチオの皿を頼んだ。

    「お葬式が終ってみんな帰っちゃってから、私たち二人で明け方まで日本酒を飲んだの、一升五合くらい。そしてまわりの連中の悪帳篷口をかたっぱしから言ったの。あいつはアホだ、クソだ、疥癬病みの犬だ、豚だ、偽善者だ、盗っ人だって、そういうのずうっと言ってたのよ。すうっとしたわね」

    「だろうね」

    「そして酔払って布団に入ってぐっすり眠ったの。すごくよく寝たわねえ。途中で電話なんかかかってきても全然無視しちゃってね、ぐうぐう寝ちゃったわよ。目がさめて、二人でおすしとって食べて、それで相談して決めたのよ。しばらく店を閉めてお互い好きなことしようって。これまで二人でずいぶん頑張ってやってきたんだもの、それくらいやったっていいじゃない。お姉さんは彼と二人でのんびりするし、私も彼と二泊旅行くらいしてやりまくろうと思ったの」緑はそう言ってから少し口をつぐんで、耳のあたりをぼりぼりと掻いた。「ごめんなさい。言葉わるくて」

    「いいよ。それで奈良に行ったんだ」

    「そう。奈良って昔から好きなの」

    「それでやりまくったの」

    「一度もやらなかった」と彼女は言ってため息をついた。「ホテルに着いて鞄をよっこらしょと置いたとたんに生理が始まっちゃったの、どっと」

    僕は思わず笑ってしまった。

    「笑いごとじゃないわよ、あなた。予定より一週間早いのよ。泣けちゃうわよ、まったく。たぶんいろいろと緊張したんで、それで狂っちゃったのね。彼の方はぶんぶん怒っちゃうし。わりに怒っちゃう人なのよ、すぐ。でも仕い、私だってなりたくてなったわけじゃないし。それにね、私けっこう重い方なのよ、あれ。はじめの二日くらいは何もする気なくなっちゃうの。だからそういうとき私と会わないで」

    「そうしたいけれど、どうすればわかるかな」と僕は訊いた。
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