寂しさという


 僕と冬子さんが一緒に住み始めたのは月曜の夜からだった。月曜日は院長の当直の日で、いつもなら自分が当直しなければならないはずだったが、その日は院長が当直をし、自分は帰ることができた。

 僕と冬子さんが初めて一緒に夜を過ごしたのはその月曜日の夜、9月3日の夜だった。冬子さんは昼頃、アパートに自転車で来たそうだ。そして僕が夕方、病院から帰り、僕たちの新婚生活がその日から始まった。その夜、冬子さんの手料理を初めて食べた。でもセックスは疲れていてしなかった。僕たちは婚前交渉の期間が長かったし、子供はまず産まれないという考えがあった。

 僕たちは別々の部屋で寝た。僕はとても暑がりだけど、冬子さんは寒がりだ。僕の部屋はいつも冷蔵庫のようだと冬子さんは言っていた。冬子さんの部屋を造っていた。冬子さんは畳の部屋で寝たいと、仏間にしていた部屋を冬子さんの部屋にした。仏壇は入ってすぐの部屋に移した。その畳の部屋は北向きで寒いのに冬子さんは『畳がいい』と言うので、冬子さんが荷物を運んでくるときから冬子さんの荷物は畳の部屋に運んでいた。9月2日の3日前の木曜日、院長に話したらデイから2人手伝いを送ってくれて冬子さんの家に行き、バスで大きな荷物を一気に運んだ。1ヶ月後の今でも言う。『本当に私が結婚するのか、非現実のような感じがしています。本当に先生と結婚するのか、夢の中のような感じがしてます。私は一生結婚しないと思っていたのに』

 一昨日、木曜日、当直明けの日、僕はやはり冬子さんに会いたくて電話をしてしまった。長崎の島原の4歳年下の女の子と結婚話が進んでいるけれど、木曜日、朝、疲れ果ててアパートに帰ってきたとき、性欲とともに、僕は冬子さんに合いたくてたまらなくなっていた。今朝、また昨夜、お祈りしているときからそうだった。それとも性欲というのか、寂しさだったろうと思う。僕はアパートに帰ってきて勤行をした後、自分の携帯から冬子さんの携帯に電話した。昼の1時頃で誰も出なかった。2回目次は家の電話から冬子さんの携帯に電話した。3回目、今度は自分の携帯から冬子さんの携帯に電話した。出なかった。また自分の家の電話番号が不通知になっていることを知った。パソコンからISDNを操作し、自分の家の電話番号が出るようにセットした。

 一昨日のその日、自分は病院から帰ってきてから勤行してそして大量に溜まっていた洗濯をしてそれから1時頃、電話をすることができるようになった。

 冬子さんと自分は1年半ほど前から恋人のような関係になっていた。でも冬子さんの方は自分より10歳年上だった。でも冬子さんは美人なのに何故か独身だった。その美しい冬子さんを自分は密かに思い詰めていた。結婚したい。でも冬子さんは自分より10歳年上で結婚は難しいことも。

 僕が始めて冬子さんを診察したのは僕がこの前原に来て数日後のことだった。冬子さんはここ太田脳神経外科へはあまり今まで来たことがなかった。しかしその日、背中の痛みに耐えきれず、久しぶりにここ太田脳神経外科へ来たのだった。そして自分が担当になった。
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