マーテルの息遣いがどんど
戦いは長引き、スパーホークは息を切らして汗まみれになっていた。剣を持つ腕がだるくなって、痛みはじめている。騎士は一消化系統歩退いて、わずかに剣を下げた。しばらく休んで息を整えようという、伝統的な無言の合図だ。この合図を出すことは、弱みを見せることだとは考えられていない。
マーテルは同意して、同じように剣を下げた。
「まるで昔そのままだな、スパーホーク」息をあえがせながら面頬を上げる。
「実力伯仲だ。いくつか新しい手を身に着けたらしいな」スパーホークも面頬を上げて答えた。
「ラモーカンドが長かったせいだ。もっとも、ラモーク人の剣の腕は大したものじゃない。おまえの剣は少しレンドーふうになったな」
「十年の追放のせいだ」スパーホークは肩をすくめ、息を整えようと深呼吸をくり返した。
「こんな具合に剣を振りまわしてるとこ乳鐵蛋白ろをヴァニオンに見られたら、二人とも鞭をくらうところだ」
「たぶんな。ヴァニオンは完全主義者だから」
「それはまさしくそのとおりだ」
二人はあえぎながら互いの目を見つめ合い、不意打ちの徴候はないかと油断なく相手を観察していた。スパーホークの右肩の痛みがゆっくりと引いていく。
「いいか」スパーホークが尋ねた。
「いつでも」
二人はふたたび面頬を下ろし、戦いを再開した。
マーテルは一連の複雑な動きで剣を閃《ひらめ》かせた。スパーホークもよく知っている動きだ。それはもっとも古くからある型の一つで、いったんその術中にはまってしまえば、結果は避けることができない。スパーホークは防御の型どおりに剣と盾を動かしたものの、マーテルが最初の一撃を打ちこんできたときから、失神するほどの打撃を頭に受けることになるのはすでにわかっていた。もっとも、マーテルが騎士団を追放され拔罐たすぐあとで、この攻撃を受け止められるよう、クリクがパンディオン騎士の兜に改良を施していた。マーテルが最後に渾身の一撃を放ったとき、スパーホークはわずかに顎を引いて、兜の頭頂部で相手の剣を受け止めた。その部分が頑丈に補強されているのだ。耳が鳴り、膝が崩れかけたものの、続く攻撃は何とか受け流すことができた。
マーテルの反応は記憶にあるよりも緩慢なように思えた。きっと自分の攻撃も、若いころのような鋭さを失っているのだろう。二人はともに年齢を重ねてきたのだ。力でも技でも拮抗している相手との決闘を延ばしつづけているあいだに、年を取ってしまったというわけだ。
そのときスパーホークの頭に理解が閃いた。理解はただちに肉体の動きに反映される。マーテルの頭を狙って、上段から続けざまに剣が打ち下ろされた。相手は剣と盾を使って攻撃を受け止める。これ見よがしの攻撃に続いて、スパーホークは型どおり胴に突きを入れた。むろんマーテルはこの攻撃を予期していたが、盾の動きが間に合わなかった。スパーホークの剣の切っ先がマーテルの鎧の右胸部をとらえ、深々と胴体に突き刺さった。マーテルは身体を硬直させ、咳《せき》とともに血しぶきが面頬の空気穴から飛び散った。弱々しく盾と剣を上げようとするが、その手は激しく震えていた。膝が震えはじめ、剣が手から落ち、盾が足許に転がった。ふたたび咳きこむと、喉にからんだ湿っぽい音がした。面頬から血があふれ、マーテルはゆっくりと、顔から先に床の上にくずおれた。
「止《とど》めを刺せ、スパーホーク」あえぐような声がした。
スパーホークは片足でマーテルの身体を仰向かせ、剣を上げた。だが騎士はその剣を下ろし、死にかけた男のそばに膝をついた。
「その必要はない」マーテルの面頬を上げてやる。
「どうしてこんなことに……」
「新しい鎧のせいだ。あれは重すぎた。疲れて、動きが鈍くなっていた」
「正義はあるということか」マーテルは浅い息をして、急速に肺に溜《た》まっていく血で窒息しないようにした。「虚栄が身を滅ぼすとは」
「ある意味では誰もがそうなる――いずれはな」
「だが、いい戦いだった」
「ああ、まったく」
「どっちの腕が上か、やっと決着がついたな。この際だから正直に言うと、おれには昔からちゃんとわかっていた」
「わたしもだ」
スパーホークは床に膝をついたまま、ん浅くなっていくのをじっと聞いていた。
「ラークスが死んだぞ。オルヴェンも」
「ラークスとオルヴェンが? おれのせいだったのか」
「いや、別の件だ」
「それで少しなりとも気が休まる。セフレーニアを呼んでくれないか、スパーホーク。お別れを言いたい」
スパーホークは片手を上げ、二人をともに教育してくれた女性を手招きした。
スパーホークの反対側からマーテルの横に膝をついた教母の目には、涙があふれていた。
「何ですか、ディア」セフレーニアは死にかけた男にそう問いかけた。
「いつもわたしはろくな死に方をしないと言っていましたね、小さき母上」マーテルの皮肉っぽい声は、もうささやき程度にまで小さくなっていた。「でもそれは間違いでした。これはそう悪い死に方じゃありません。むしろ幸せなくらいだ。本当に愛したただ二人の人間に、そろって看取《みと》ってもらえるんですから。祝福していただけますか、小さき母上」
セフレーニアはマーテルの顔に手を置いてスティリクム語を唱え、蒼白になった額に泣きながら口づけした。
教母が顔を上げたとき、マーテルはもう死んでいた。
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